独断と偏見ではありますが、長年の統計からスリムで健康的な人に共通していることがあります。
それが「面倒くさい」という言葉を使わないことです。
掃除するのが面倒くさい、仕事に行くのが面倒くさい、服を選ぶのが面倒くさい、料理するのが面倒くさい、メイクするのが面倒くさい、お風呂に入るのが面倒くさい、歩くのが面倒くさい、運動するのが面倒くさい。
そう考えると、この世は面倒くさいことだらけです。むしろ、面倒くさいことで生活が成り立っていると言っても過言ではありません。ここから言えることは、大切なことほど面倒くさいということです。
しかし、私はこう考えます。それらは本当に面倒くさいことなのか?
というのも、掃除をするのが好きという人もいますし、メイクやファッション、お風呂が好きな人もいます。仕事が好きな人もいますし、歩くのが好きという人もいます。みんなが毛嫌いする運動だって好きな人がいるわけです。
つまり、面倒くさいというよりも「好きか嫌いか」の問題だと考えています。
ちなみに私は全部好きです。というのも、部屋が綺麗だったり、自分の体が整っていたり、心がスッキリしていたほうが気持ち良いからです。その状態も好きですし、そこに至るまでのプロセスも好きです。美容品、掃除用品、運動グッズなど、どれも選んでいる時は楽しいですし、それを使う時ももちろん楽しいです。
どうすればもっと自分が綺麗になれるか、どうすればもっと綺麗に汚れが落ちるか、どうすればもっと美味しいごはんを作れるか、どうすればもっと運動のパフォーマンスが上がるか、それについて勉強したり調べたりするのが好きです。
女性であれば、メイクが楽しいと感じる人と、面倒くさいと感じる人の差みたいなものでしょうか。メイクが好きな人は、自分に合うメイクを研究したり、商品を探したり、試したりしていますよね。その時の気持ちは「面倒くさい」ではないはずです。これは運動もまったく同じです。色々学びながら試行錯誤するのが楽しいですし「今日の運動が終わったらまた綺麗になれる」というワクワクした気持ちのはずなのです。
一般的に面倒くさいと思われていることをいかにポジティブに捉えられるか、というマインドセットはとても大事です。
「わたし面倒くさがりなんだよね」という人は、面倒くさがりな性格が問題というも、面倒くさがりな性格を見直さないことに問題があると、私は感じます。特に運動は誰からも強制されるものではありませんので、面倒くさいと感じていたら、一生疎遠のままです。ですので「面倒くさい」が口癖の人は、赤信号になりかけている黄色信号、だと私は考えています。
人にとって物事の優先順位は異なりますが、運動すなわち健康でいることは、間違いなく上位にあるべきものだと考えています。なにをするにしても体が資本だからです。

こちらの記事にも書いたように、多くの人にとって、運動すなわち身体を動かすことは優先順位の最下位のほうにあるのではないでしょうか。きちんと運動の時間をつくり、自分の体をマネジメントできている人は、他のこともきちんとしている傾向があります。
というのも、たいていの物事はリンクしているからです。逆に、一つだらしない人は必ずと言っていいほど、他のこともだらしない傾向があります。いつも遅刻してくる社員や生徒、友人はいないでしょうか。そういう人をよく観察してみてください。なにか心当たりがあるはずです(仕事や勉強ができるできないは関係なく)。
そして、体型管理も「自己管理」の一つですから、その例には漏れません。やはり「面倒くさい」を言い訳にしていると、最終的には自分に返ってくるのです。大切なことほど時間がかかります。これはどんなことにも共通していることかと思います。だからこそ「面倒くさい」と考える癖をやめ、その代わりに「これは自分の成長のため」と前向きに考えられるようになると素敵ですね。

