Continuation|継続の極意

続けないと意味がない
毎日やらないと効果がない
継続することに意義がある

世の中にはこうした「謎のルール」がいくつも存在します。まるで物事は継続することを前提につくられているかのように。こうした謎のルールが浸透するとどうなるか。それを守れなかった時に「また続かなかった」「いつも三日坊主だ」「自分は本当にダメ人間だ」というように自己肯定感が下がっていきます。自分に自信がなくなる、ということですね。

でも、よく考えるとこれはとてもおかしなことです。というのも、継続しないと意味がないというのは、そもそも「どこかの誰かが決めたルール」だからです。そのどこかの誰かが決めたルールから逸脱したからといって、自己肯定感が下がってしまうというのは少しおかしいと思うのです。

法律や秩序など世の中には守らなければならないルールは存在します。しかし、少なくとも「運動」に関してはそうではない。続かなかったからといって罰せられるわけでもないし、誰かに責められるわけでもありません。そもそも自分の意思ではじめたことなのですから、続けるも続けないも、本来は自分の意思で決めていいはずなのです。

さらに言うと、続くか続かないかは別として、それよりも「一歩を踏み出したことのほうが価値がある」と思っています。それができない人のほうが多いわけですから、その時点で立派なことだと思います。

ですので、続くか続かないかは、僕はそこまで重要視していません。当然、続けばそれに越したことはありませんが、決して続けることそのものが目的なのではありません。そもそも続くかどうかは、はじめてみなければわからないことですからね。なので、続けることを至上と考えるのは、僕の中では「否」です

忘れないでいただきたいのは、私たちが向き合っているのはあくまで「自分自身」です。対人競技のようにライバルがいるわけではありませんので、向き合うのはあくまで自分自身です。SNSで「自分と他人」を比べてしまうことが当たり前になってしまった今、これは特に大切な考え方です。なんとなくボーッと見てるSNSも、いつの間にか「いいな」「羨ましいな」「自分もちゃんと続けないとダメだな」と考えるようになってしまう。そして、ご親切にも関連動画が波のように次から次へと押し寄せてくる。

もうこうなると終わりです。自分に向き合っているつもりが、スマホ越しの別の何かと向き合ってしまっている。そして、いつの間にか「自分はこんなはずじゃない」「もっと頑張らないとダメだ」「ちゃんと続けないとダメだ」と、どんどん自分を追い込んでしまう。

そうなると運動を「しなければならない」「しないとダメだ」「〜になりたい(自分自身と向き合っていない)」という捉え方をしてしまうことになるわけです。そういう運動の在り方って苦しいです。さらに、そこでまた続かないと自分を責めてしまう羽目にもなります。もう地獄です。

とは言っても、ある程度の成果を出すにはやはり続ける必要はあります。辞めてしまっては身体は変化しませんからね。そこで、継続ではなく「断続」と考えるようにしましょう。継続というと「休んではいけない」「休む=サボる」というイメージがあるからです。決してそうではありませんし、そもそも長く続けていくためには休みは必要です。なのに、その休みを「サボる」と考えてしまうからいけないわけです。

人間ですから動きたくない時だってあります。でも、それはサボっているわけではなく、今の自分にとっては必要な「休み」というわけです。なので、断続的でも全然構わないわけです。必要なら数ヶ月休んでもいいでしょう。また復帰すれば良いわけですから。

そもそも身体というのは一生付き合っていくパートナーのようなものです。よく「それじゃ、一生運動を続けないといけないんですか?」と聞かれることもあるのですが、健康でいるためには一生続けてください。これは決してスパルタ的な意味ではありません。私たちは、2〜3ヶ月だけ頑張って終わり、または2〜3年頑張って終わり、のような短期決戦で健康づくりに挑んでいるわけではありません。お花には水をあげないと枯れてしまいますし、車は定期的にメンテナンスしなければ故障します。身体もまったく同じです。短期間でどうにかするべきものではないのです。

だからこそ継続することが大事であり、その継続のためには「休み」は絶対に必要なわけです。断続というのも、もっと大きな括り、例えば人間の一生で考えると、結局は継続していることになりますからね。なので、今まで頑張ってて、最近ちょっとやってないなぁ、ということがあっても、あまり悲観的にならないことです。「謎のルール」に縛られすぎず、物事もっとイージーに考えましょう、ということをお伝えしたかったです。

継続よりも「断続」で考える。

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